About me | |
Name | YUCARI |
Birth Day | 06.30 |
最近思ってること。 | お人形って何だろうと考える今日この頃。 ヒトガタって書いて人形なんだなぁ。でも英語だとDoll。人間っぽい単語は全く入っていない(Humanとかman) ちなみにイタリア語ではBambola。こっちもヒトガタのヒの字も入っていない。(イタリア語で人間はumano とかpersona) 最近「人形」という枠がちょこっとだけ窮屈になってきてる気がします。 もともと俗に言われる“着せ替え人形”というものにはあまり興味がありませんでした。 私が人形を作り始めたのは、おそらく人形というカタチをとった「立体表現」をしたかったのかもしれません。 もともと「球体関節人形」を知るきっかけとなった天野可淡さんのお人形写真を観た時、 「この人形で着せ替え遊びをしたい」と思ったわけでもなく。 ただただ「綺麗だぁ」と思って写真集を買いました。 それは人形という形を取っていたのですが、私の中ではオブジェとして認識していたのだと思います。 でも「お人形」という表現のアイテムはものすごく惹かれているんですね。 生意気にも「人形づくり」に葛藤を覚えてみたりして。 お人形が作りたいのか、オブジェが作りたいのか。 最近ビスクドールのお勉強を始めました。 ビスクドールというのは永遠に変わることない形を保っていられる。 大変魅力的なものです。 退廃していく美しさもあれば、不変であることが美しいものもある。 粘土人形はやがて朽ち果てていくものだと思っています。でも、それが魅力。 崩れていく姿さえ美しいものだと、天野可淡さんのお人形を見て思いました。 あの方のお人形は粘土であるからこそ、より一層美しいのだと思います。 一方ビスクドールは永遠に(壊れなければ)同じ形であるという美しさがある。 現に200年前、18世紀のお人形が今現在でも変わらない姿で現存しているのです。 どちらが美しいなんて選べるわけないです。どちらも本当に美しいものですから。 ですから、しばらく2足わらじで進んでいこうと思います。 型取りができる、耐久性がある利点を生かしてビスクドールでは“お人形”を、 同じものは二つとできない利点を生かして粘土人形では“自己表現としてのオブジェ”を作っていきます。 (※厳密にいえばビスクドールも一つ一つ色を付けていくわけなので、全く同じものはできません) |